自分を褒めてあげよう。
いつも私はブログを書くとき、題名を考えてから本文を書き始めてみるが、うまく思いつかなかったので、今回は題名を最後に考えてみようと思う。
私はものごとを溜め込みやすい性格である。他人がうまくいくように己を抑えるようにしたり、相手の地雷を踏まないように気をつけたり。自分には厳しく、全然出来ない自分を責め立ててしまう。昨日、ネットにある性格診断をしたら【 自己閉鎖型 】( 自己否定 他者普通 )であることがわかった。
さて、なんで性格について書いているかというと、こんな性格ゆえ、溜め込んでいたものを爆発しそうなのである。
きっかけは昨日の出来事。もっともっと主張すればよかったと後悔したこと、自分の行ったことが悪い方向へ働いてしまったこと、とても神経質な人が一度いなくなったけれど戻ってきたこと(またか、という落ち込みと、気をつけなければならないと思う緊張感)。そして、そんな日に限って自分のやる気がなかったこと。いろいろなことが重なって、震えてしまっていた。人と会話しているときも、1人でいるときも。なんだか、ずっと誰かに見られて怒られているようで。昨日の夜は寝付けなかった。寝たのは久しぶりに日付を越えてからだった。
何か心が辛いけれど、何が辛いかわからず。ずっと胸が痛かった。柔らかいダンボールの箱が足で踏み潰されていくような感覚。どうしたら良いのかわからず、性格診断したり、占いに走ったり、現実逃避してみようと携帯小説を読んでみたり。でも、どれもこれも続かず、結局いつの間にか寝ていた。
朝起きて、心は少し落ち着いたようだ。でも、少し涙が流れる。
ある本で読んだことがある。溜めないようにしよう、と。
ある心理学で言っていた。もっとわがままになっても良いんじゃない、と。
自分を否定するがゆえ、やりたいと思っても、今じゃない、と思って手を出さないものが増えていた。(最近、物欲が湧いてきている…。 - 行列のできるレストランで書いたものなど、長期間に渡って購入されていない)そんな自分に、今、後悔しているんだ。
もっと、自分を許してあげよう。
出来ない自分もいいんじゃないか。出来ないと思えるだけ、素晴らしいじゃないか。、と。
でも、、そんなの甘えなんじゃないか。と思う自分もいる。
もっと、わがままでいいんじゃない。
やりたいことを後悔するよりはいい。当たって砕けろと。
でも、、それじゃあ人とどう接していえばいいかわからないよ。、と思う自分もいる。
生まれ持った性格、成長していく中で学び変化していく性格。どう折り合いをつけていくのか。
自己啓発本をよく読むが、そこには様々なことが書かれている。でも、なるほど!と思っても実践してみたことは、覚えている限りない。
人は変われるのか。
旅に出たい。一度、心のリセットボタンを押してみたい。
知らない街に行って、知らない人に会って、こんなちっぽけな自分でも自分を表現できるんだ、していいんだということを学びたい。
もうすぐ新年度。やり直すなら、その境界線だ。
心のリセットボタン、どこにあるんだろう。
人は変われるのだろうか。
自分を出せなくて後悔する自分とおさらばできるのだろうか。
人前に出ると震えてしまう自分をなんとかできるのだろうか。
不安はいっぱい。でも、精神病院にはいかない。
病気であるとみとめられたらもしかしたら安心するかも知れないけれど、そしたらずっと甘えてしまう気がして。
みんなみんな、不安を抱えて生きているんだよ。
前を見ている人が、本当の世の中をつくっていく。
前を歩こう。前がどこかもわからないけれど。
目の前にあることだけやろう。周りは気にしない。
自分がいなければ、この世界は見れていないから。この世界で生きていないから。
自分が一番。
いま、そう考えられた自分、すごいな。褒めよう、自分を。自分を褒めることができる自分、偉いなぁ。
さて、なんか心が軽くなってきた。
今日は土曜日。楽しい休日を過ごそう。
溜め込まない、溜め込まない。
やりたいと思うことを存分にやろう。
やらなくちゃいけないこともあるなと考えた瞬間、なんか重くなってきた。
やらなくちゃいけないのレベルを下げる必要があるなぁ。
正義感持って、完璧主義的になってしまう自分がいるからか。
まあ、そうわかった自分、褒めてあげよう。